82年前の色を蘇らせる試み

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 沖縄の組織的戦闘が終わってきょうで72年が経ちました。

 毎年、6月23日が近づくと、激戦地だった糸満市摩文仁の「平和の礎」に家族で手を合わせ、記者になってからは何度も取材で訪れてきました。

23日は朝日が昇るころから、遺族の方々が礎に刻銘された名前を水で潤し、花を捧げ、手をあわせる姿があります。強い日差しの中、追悼式が開かれ、号外が配られます。魂魄の塔も多くの県民が集まります。高校野球も試合を中断し、黙祷をします。

ほかの364日とは違う、みんなで72年前に思いをはせる1日を沖縄では過ごしてきました。

今年は、出張先の広島で黙祷をします。原爆の投下された地でこの日を迎えることは、感慨深いものがあります。私の中での点と点がリアルに結ばれる貴重な機会になるでしょう。

これまで、沖縄戦に関するコンテンツの制作に携わってきました。

 

2014年に沖縄GIS研究室と激戦地だった旧具志頭村出身者の戦没地をたどる「具志頭村 空白の沖縄戦」。

2015年に沖縄GIS研究室と首都大学東京・渡邉英徳研究室と戦没者と体験者の足取りをたどる「沖縄戦デジタルアーカイブ」。

 

体験者の話を聞く機会が今後減っていく中、次の世代にどのように沖縄戦を伝えていけばいいのか、悩みながら取り組んできました。

 

現在も国籍・軍人・民間人の区別なく戦没者の刻名作業が行われている。沖縄県糸満市摩文仁・平和の礎

 

 

 ことしは、またご縁があって、朝日新聞と沖縄タイムスと研究室チームで、地上戦が始まる前の1935年の当時の色を蘇らせる取り組みが始まります。

 私が沖縄の当時の色を探して旅します。

 

↓朝日新聞の記事はこちらです。

沖縄戦前の写真、色探す旅へ AIと現地取材で再現試み

沖縄戦が奪った命の色彩、再び 挑む出身記者の思いは…

 

 カラー写真は、まだどこか現実感がないところもあり、どうやったら当時にいかに近づけるか、研究していきたいし、 今後の内容は、記事で書いていけたらと思います。

 

 今から3年前、2014年6月23日に向けて、コンテンツを制作し、書いた一文です。

 「戦後に生きる者として、生きることができなかった声なき声に耳を傾け、彼らが残した足跡をたどる鎮魂のグラフィックとする。」

 

 

これからも耳を傾け、足跡をたどっていきます。

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