2月9日、雑誌「Journalism」が発売になります。
特集ページで、スター記者、ディレクターさんと対談をさせていただきました。
正直、まさか、地方紙で働く私が、全国紙で活躍している皆さんと座談会で一緒に話す機会を持てるなんて夢にも思いませんでした
大学は千葉だったので、東京も地方も一緒だろと思っていたわけですが、
働いてみると全国紙の技術と流通網に敵うわけもなく、
地方と全国との力量の違いを痛感していました
そんな中、私は記者になって一年三ヶ月で鬱になりました。新入社員のまま、病気になり、周りの友達は社会人としてバリバリやっている中で、
とても苦しく、私も同じように働きたいと強く強く願いました
私の性格は、きっと明るくて、鬱と無縁な気がします。鬱と言われるまで、自分がなるなんて想像もできませんでした。
でも、私の鬱病の症状はとても重く、医者に社会復帰は無理だと通告されました。
一ヶ月で体重が6キロ落ち、2か月目には10キロ減りました。
25歳の夏でした。
遊ぶにしても、働くにしても、とてもいい時期だから、辛かった。
絶望の中、入院しました。
鬱は薬の調整が大事なポイントになるんですが、
私は薬アレルギーが強く出てしまい、薬物治療は諦めざるを得ませんでした。
認知行動療法を繰り返し、
会社に戻って前のように働けるようになるまで3年かかりました。
苦しみなぞ、言葉で表せないほどの治療過程でした。
想像を絶するものでした。
鬱は心の風邪だと言われるけれど、風邪なんてもんじゃない。
ご飯は食べられないし、私の場合はなぜか活字が読めなくなっていました。
視覚障害者の大きな字で書かれている絵本の字を一つ一つ指差して、音読しながら、活字を読む練習をしました。
同期はとても活躍していて、羨ましいし、私もそうなりたいなと思ったし、頑張ろうと励みにもなりました。
復職もだいぶ悩みました。
才能がないだろうと思っていたし、記者になるつもりが毛頭なかったこともあるし、向いてないから病気になったんだろうとも思った。しかも、復職して再発したら回復は厳しく、一生かかることになるのかもしれないと。
ただ、私が絶望の中で分かったのは、私は生きていたいと思う希望が最後まで消えなかったことです。
諦めたくない気持ちがかすかに残っていました。
だから、もう一度、頑張ってみよう。
もう一度、記者に戻れるなら、記者をやれたら、無敵な私になれるのかもしれないと思いました
無理だと思ったら、すぐに諦めようと思って復職しました
復職する日、会社に入る勇気がない私を先輩が迎えに来てくれました。
とても優しく、有り難くて、今でもその光景は忘れられません。
記者に戻ると決めた時、いつか、地方にいても全国で活躍できる記者になりたいなとなんとなく、思いました
無敵になれるなら、できるかもしれないと思ったんだと思います
病気になったことがあまりにも悔しかったからです
きっと、実力も違うし、日本の端っこで、粛々と仕事をするだろうけど
いつかを思い描いたことを覚えています
私にしかできない仕事を探しながら、切り口を見つけながら、もがいた現場の毎日でした。
上司、同僚、優しい後輩に恵まれて、なんとか日々を乗り切ってきました。
メンタルが辛い時は、辛いと正直に言って、配慮してもらいました。
机に座りながら涙が溢れて来る時は、そっとトイレに行って泣きました。
よく分からないけど、復帰してからは、がむしゃらによく仕事をしたな、できたなと思います。
正直、メンタルは綱渡りの奇跡的な毎日でした。
その後、デジタルに行くことを決めて、会社も汲んでくれて、地方のニュースを全国に届けたいと思って仕事をしてきました。
わたしはとてもラッキーガールで、
協力してくれる技術者に出会えて、やりたいコンテンツを作ることができて、
中央の方の目に止まって、私を知ってくれる人が増えました。
絶望の中で願ったことが段々と叶う日々が信じられませんでした
とても楽しく働かせてもらい、
大学院まで来ることができ、幸せに思います
今回、業界で知らない人はいないであろう「ジャーナリズム」に出させていただき、実力はまだまだだけど、同じ世代で一線で活躍している方達と同じ空間にいたことは、夢のようでした。
鬱は、本当に大変だけど、あれだけの絶望を知れたなら、思いっきりたくさん休んでほしいと思うし
絶望の力は、大きなエネルギーなので、真逆にも使えるはずで
なんとか、生きていたら、どうにかなる日が来るかもしれません。
私がそうであったように
今日、大学院1年の修論発表が無事に終わりました。
死ぬほど嬉しかったです。
まだ安定しない時もありますが、周りに恵まれて過ごせています。
こういうことを書きたくないなと思ってたんですが
同じ業界も含めて、社会でメンタルを病んでしまう人たちが身近な人も含めて大勢いて、
私もニュースを読むたびに辛く、辛く思っていました。
勇気を振り絞って書いた、そして生きてて良かったなと心から思った2018年2月6日でした